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松元教貢歯科医院からのお知らせ

外科手術の本質について

私は医療の根本は祈りである、患者さんの体の具合が良くなるように手を合わせて、人智の及ばない神聖な存在、例えて言うなら神仏に祈る気持ちである、と信じています。

現代は科学、医学が進化して長生き出来る時代になっています。

しかし、それでも我々の限界を超える、どうしようもない事態はなくならないのです。

それこそ、数十万人に一人で発生する病気であっても、何故だかその病気に宿業のように掛かり、治らずに苦しまれる方は存在するのです。

そう言う時、人はその苦しみから患者さんを救う為に、病巣を切り取る、外科をすると言う事を止むに止まれず行い、一か八かで命を救って来たのです。

大昔の話ですが、それが外科の黎明なのです。

外科、切り取ると言う事をしなければ、その患者さんが長く苦しみ、辛い思いをし、やがては患部が腐り落ちたり、内臓がそうなってしまえば命を落としていたのです。

外科と言うものは、切り取ると言う大きな傷口を患者さんに負わせる事、その代わりに何とかして病巣悪いものを取り除く、と言う作業が本質なのです。

そう言う過去の経験が積み重なって今の医学は出来上がっているのです。

その他にも、昔は部族間の生々しい戦いや食物とする動物を狩りする時の反撃等による、大きな怪我を負い、その手当てするものとして外科は発展して来たのがその歴史なのです。

外科とは常に血生臭い仕事なんだ、と言う厳格な事実、その事を我々は勿論、患者さん達にもチャンと受け止めて欲しい、と私は思います。

私自身歯科医になったその初日に、開業歯科業界では最も難しいとされる下顎の水平埋伏智歯抜歯を担当させられ、その3日後に3時間もの悪戦苦闘を経て何とかやり遂げ、外科手術が大きな道として開かされ25年に成ります。

その薫陶のお陰で、私自身は出会った親知らずの抜歯は必ず抜歯の必要性を説明し、納得いただけた患者さんの場合には必ず抜歯するようにして来ました。

外科手術は、歯科医の私の本道であった、と言えるでしょう。

だからこそ、私は恩師達から常に外科手術は患者さんの体を思って為すべきである、侵襲を必要以上に掛けない処置を考え、必死で工夫する事は当たり前だ、と叩き込まれて来ました。

25年外科に取り組見続けて来た私の手は、患者さんの血に塗れています。

振り返れば、2003年夏までは本当に大きな手術、一気呵成に治す技術が最高で最善と信じて疑いませんでした。

ですから、外科に伴う患者さんの苦しみ、辛さに対しては、全く力が及ばず、出来る限り綺麗に早く終了して差し上げるしかないと、ある意味諦めていました。

そうです、外科するには仕方がないんだ、と言う気持ちでいたのです。

それでも、チャンと外科出来ていて成功すれば3日目からはかなり楽になる、辛いのは最初の2~3日、1週間もすればかなり元に戻る、楽になるそれしかないんだ、と。

 

しかし、2003年秋、サンフランシスコシリコンバレーでDR.ラムに生涯一度の薫陶を賜り、それこそハンマーで頭を殴られたかのように私は衝撃を受け、それまでとは全く違う外科の道に分け入ることに成ったのです。

それがMI最小限の侵襲で最大限の成果を挙げる外科手術、でした。

それ以降、私はそれにのめり込みました。

この考え方、MI最小限の傷口だけで通常の手術以上の成果を出す、と言うものは、私はやり始めて10年目になる訳ですが、従来の外科とは全く違うものだ、と分かって来ました。

言うなれば、内科的外科手術とも言えるものです。

外科手術するべき部位、されるべき所だけに到達出来る最小限の傷口だけで良いのだ、その為に今は色々な専用に器具器材が開発されているのです。

歯科用3DCT等はその代表例でしょう。

立体的にその部位がどうなっているのか、が術前にかなり正確に把握できる。

それだからこそ、例えばインプラントならどう植立すれば良いのか、何処にどれだけの骨を必要とすれば良いのか、歯肉をどう扱い、増やせば良いのか、が分かり、それを精密に丁寧に再現すれば良いのです。

 

但し、言葉で書けば凄く楽でも、実際には途轍もなく大変です。

何故なら、それが外科手術であり、手術受けるのも人間、行うのも人間だからです。

患者さんはモノではありませんから、生きていて当然完全にじっとしていることはまず不可能です。

そして、歯科医側も人ですから呼吸に従って幾ら気張っても手元はほんの少しだけですが揺れるのが常だからです。

これが、命あるもの、生きているものの定め、命あるものは必ず波動の中で生きているんです。

その中で、精密、正確さを極限まで求める、と言うのは神業に等しい、と私は感じます。

 

しかし、現実には今の時代の医療として、患者さん側はそこまで奥の深い、恐い、でも成果、効果は凄いものだ、とは正しく理解下さっていないのではないでしょうか?

かく言う私も、そこまで患者さんに求めるのは酷だ、と思います。

 

それでも、真に患者さんを救いたいから、辛い思いをさせたくないから、MI最小限の侵襲で最大効果を目指し、常に完璧を追究し更に更に外科手術を極めたい、と願います。

 

今の一般的レベルが、生意気な言い方ですが私の2003年以前のレベルであって、救える筈の患者さんが救えず、心の底から悔しい、残念だ、と思っても、後世の為、これからの患者さん達の為、我が道を私は往くのです。

 それが、私の祈り、心願なのです。

何故、私が信心深いか、少しでもご理解いただけましたら幸いです。

 

PS:今日のブログは、本当に散文になって申し訳なく、恥ずかしい限りです。

 

 

 

 

 

投稿日:2012年1月31日  カテゴリー: